はてなハイクについて

はてなハイクには時間が流れていた

「おはよう」の挨拶が交わされる朝、少し遅れて「ハイク的おはよう」の声が聞こえる

「いただきます」にはカフェの、定食屋の、社食の、コンビニの、あり合わせのものでこしらえたおうちの昼食が見える

「今日のおやつ」が済む頃には勤め人たちは「帰りたい」「帰りたい」とこぼし、やがて「お疲れさまでした」と職場を飛び出す

料理番からは「晩ごはん」のプランニングがテキストで、ついで画像で届けられる、「ビール部」室からはプシュッとプルタブの開く音が聞こえ、野球実況も佳境を迎える

お風呂に入り、テレビを観て、本を読み、一日の由無し事を喜び、悲しみ、悔い、愚痴を織り交ぜて吐き出して、「おやすみ」と床に就く

「おやすめない」人たちがポツリポツリと現れては消えて、夜更かしハイカーの「おやすみ」と早起きハイカーの「おはよう」の入り混じる汽水域を抜けると、ハイク的新しい一日が始まる

これらは、登校、出勤の移動中、お昼休み、帰り道、夕食の後といった個人のタイムスケジュールに組み込まれたSNSの時間ではない

ハイクに流れるハイク時間だ

それを生んでいたのはキーワードだった

 

キーワードと同じく、話題をまとめ、結びつけるものにハッシュタグがある

ハッシュタグはツイートに付随して、ツイートと一緒に流れていく

キーワードは違う

投稿とは別に常にハイクにあり、ハイカーはキーワードに投稿する

時間と同じ速さで流れるものは時間を生み出すことはない

キーワードは流れない、だから時間を生んだ

 

キーワードは空間も生んだ

二人の人間のやり取りを糸に例えてみる

キーワードがない場合、それは二人の間をジグザグと縫いつつ、タイムラインとともに流れていく

キーワードがあった場合、二人のやりとりという糸はキーワードに溜まり、広がっていき、面を作り、層を成す

 

それは、ツイッターをはじめ、他のSNSでもないわけではないのかもしれない

ただハイクでは、ハイク時間、ハイク空間が強く感じられた

それはアンテナがあったからだ

アンテナはハイカーが自分のお気に入りのハイカー、お気に入りのキーワードで自分のタイムラインを構築するものだ

快適、便利なタイムラインを作るためのもの

けれど、お気に入りのハイカーの投稿を辿る時、ハイカーは彼らに流れるハイク時間を感じる

お気に入りのキーワードを覗く時、ハイカーはそれを共有するハイカーたちの姿を見る

キーワードの蓄積が時間と空間を生み、キーワードを蓄積するアンテナを自ら作る、見ることで、ハイカーはハイク時間とハイク空間を実感していたのではないだろうか

 

他と異なる時間軸を持った空間とは、世界だ

ハイクはしばしば村に例えられたが、ハイカー自身「住んでいる」ような感覚があっただろう、住み心地に関しては、人それぞれだったろうが

「自分は住民を任じるほど浸ってはいなかった」というハイカーも「ハイクは、今頃、おやつで賑わっているだろう」と思うことがあったのではないだろうか

自分がそこにいてもいなくても、ハイクには時間が流れていて、確かに存在していると感じられる

ハイクは一つの世界だった

 

世界を生み出す構造があっても、仕組みが動き出すには投稿が必要だ、生じた時間と空間を認識する人間が必要だ、そして、そこで生きてもらわなければ

はてなは、仕組みを動かす住民を追い出し、世界をたたんでしまった

まあ、そういうことでしょうか

 

 

 

*ハイクを語るためにツイッターを例にしましたが、わかりやすく伝えたいと思ったからで、比較するつもりではありません