林檎酢
って書いてあったら、「林遣都」って読むよね
これは誰でも、「林遣都」って読むよね
これ、もちろん「林遣都」って読むよね
いや、似てるなって思ったんです
修羅場アゼリアのシーン、何回観ても面白いです
シナリオを読んでわかったことは、蝶子さんの「もしかしてドッキリ?」が脚本にはないということ
第2話の春田の「もしかしてドッキリ?」を受けてのものだと思うのですが、これはアドリブではなくて、アレンジだと思いました
春田の「もしかしてドッキリ?」がとてもいい台詞だったから生まれた台詞なのですから、脚本が産み落としたものですよね
脚本の徳尾浩司さんが「(視聴者がアドリブと思っているものは)役者単独のアドリブではなく、役者、監督、スタッフによる演出である」(うろ覚えなので、誤解を招くような書き方になっていたらごめんなさい)と書いていらっしゃったと思うのですが、その演出は0から生まれてくるわけではなくて、脚本が蒔いた種が思いがけない場面で実を結ぶものなのかなぁと思いました
この台詞の素敵なところは、2回繰り返すことの面白さだけではなくて、蝶子さんに春田成分が感じられるところだと思います
部長に愛された二人がさりげない台詞でふと重なりを見せるところが、とてもいいなぁと思うのです
春田が「はるたんです」と自己紹介するところも、文字だけで読むと「こんな火に油を注ぐような自己紹介って…」と思うのですが、ドラマを観ると、なんだかんだで「はるたんです」と言ってしまう春田の追い込まれぶりとお人好し加減に、そう言わざるを得ないね…って納得がいってしまいます
ちょうど今日、徳尾さんが『脚本に「(微笑み)……」と書くことの意味』をツイートなさっていましたが、アゼリアのシーンは()が、翌朝の回想シーンを含めても4回しかないんですね(動きを指示しているものはありますが、感情表現としてのものは)
これだけ感情が錯綜するシーンなのに
このシーンって、まさに、アゼリアのあの場所で誕生した生き物なのだなぁ!と思いました
ほとんど脚本に忠実な台詞の中での、春田の「“あの…、”はるたんこと、春田創一です」「“はい…はるたんです…”(泣く)」は、とてもいいですねぇ
「“部長、そのことなんですが…”」も、優柔不断だとか、曖昧だとか言われがちな春田ですけれど、実際は何回も何回も問題解決の努力をしていたのがわかります
本当にね、みんな、春田の言葉を聞くべき
春田に最後まで話をさせてあげていたら避けられた悲劇がいっぱいあると言うところは「犬神家の一族」の珠世の比ではないと思います
あと、蝶子さんの連写は素晴らしかったです!
今日は、ここまで
アゼリアだけで、おなかいっぱいです