「神と共に 第2章:因と縁」 その3

このように長々感想を書いてきた「神と共に 第2章:因と縁」ファイナル

最終ネタバレです

 

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実は、閻魔大王はカンニムの父親でした

亡くなった彼を、その時の閻魔大王が次の閻魔大王となるべく迎えにくるのですが、その際に「自分の姿を変えてほしい。できたら、あなたのお姿に」と願い、生前の父親の姿を捨てて閻魔大王となるのです

それはカンニムのためでした

カンニムが自らが手にかけたドクチュン、ヘウォンメクと共に過ごす間、父親はカンニムを見守り、息子をそういう境遇に追いやった己の罪と向きあい続けていたのです

 

父親の長子(嫡男)カンニムと次男(養子)ヘウォンメクへの態度の違いは、長子とそれ以外あるあるで、誰にでも心当たりのあることです

慈愛深く公明正大で偉大な将軍と言われた父親も、子育ては難しかったのでしょう

ただ、単に長男には厳しくなりがち、そのあとの子供には甘くなりがちという話だったのかというと、少し違うように感じます

ヘウォンメクはカンニムの父親の攻め滅ぼした村の生き残り、つまり敵対民族の子供でした

彼はその子供を養子に迎え、愛情を注ぎ、教育を施しました

これは、ヘウォンメクがドクチュンら役割上の敵対民族(ヘウォンメクにとっては同民族かもしれません)を保護した行為と似ています

カンニムの父親は贖罪行為として自分の心を癒すために、ヘウォンメクを助け、育てたのではないでしょうか

公正な考え方の持ち主であった彼は、他民族を攻め滅ぼすことに良心の呵責を感じていたのかもしれません

保護、教育し、共に生きる道があったらと考えていたのではないでしょうか

彼がヘウォンメクに施したことは、彼が国境を争う相手に対し、本当はこうしたい、こうすべきと思っていたことだったのではないかと思います

しかし、現実には将軍という役割があります

己の抱える葛藤が、将軍という役割に疑問を持たず、父親にそのあるべき姿をまっすぐ求めるカンニムを余計に疎ましく思わせたのかもしれません

閻魔大王に「哀れな二人の記憶は消す」と言われ、記憶を奪われていたドクチュン、ヘウォンメクを、屋敷神は「気の毒だ」と言いました

ドクチュン、ヘウォンメクの己の犯した罪を知らないまま過ごした日々は、カンニムの日々と比べて、どうだったのでしょう

二人が過去を知るタイミングは、時が満ちて訪れたものだとしても、閻魔大王が二人から記憶を奪ったのはカンニムのためだったのだろうと思います

 

「悪い人間などいない。そういう状況があるだけだ」

それがはっきり見えるのがヘウォンメクです

人間だった頃のヘウォンメクは、心の優しく、勇気のある子供でした

養子に来てしばらくは、おどおどと気の弱い様子でしたが、父親に手厚い教育を受け、やがて兄を凌ぎます

父親に戦場への同行を申し付けられた時は「兄を差し置いては行けない」と言いますが、それは兄を敬ってのことではなく、そのように教育されたからです

カンニムとの手合わせて一本取った時、ヘウォンメクがニヤリと笑ったのは、カンニムの見間違いではありません

父親の死の責任を負わされ僻地へ追いやられた後は、敵対民族の村を殲滅するなど無慈悲な振る舞いを見せます

けれど、ドクチュンを救うことをきっかけに荒んだ心を癒していきます

その間もヘウォンメクの本来の心、優しくて勇気のある心は変わらなかったのでしょう

付き従う部下の様子にそれがわかります

記憶をなくし冥界の警護人となったヘウォンメクは、どんな人間だったでしょう

あまりものを考えず、考えても的外れ、武術の腕には間違いはないが、ドクチュンの真面目さと知識と合わせて一人前といった様子です

けれども、いざ事にあたっては頼もしい相棒で、人に接すれば涙もろく、情にほだされて相手の力になろうと奮闘します、それが的外れであっても

 

同じヘウォンメクなのに、こんなに違う

けれども、ヘウォンメクである事に間違いはないと感じられる

それが人間と状況なのかなぁと思いました

 

これから三人は、過去とは違う、この千年とも違う繋がりを育んでいくのでしょう

未来には過去とも現在とも違う状況があるのですから