HiGH&LOW THE MOVIEの世界観で面白いなぁと思ったことは
・20代後半でも子供扱いで、当人も納得しているらしいこと
・その親世代に子供を育てる意識がなく、それを期待もされていないようなこと
・家族という概念において親を演じようとする人が死んでしまうこと
・再生される絆は他人と他人の間で生まれること
です
家族がテーマという作品は、その再生であれ破壊であれいろいろありますが、HiGH&LOW THE MOVIEの家族の描き方は少し異質で、かつ作り手の実感があるように思いました
私はえぐざいるさんに疎く、どういう方々が企画制作したものなのか存じ上げないのですが、20代後半でも子供と言われ、必死でもがいても子供以外の何者でもない登場人物たちは作り手の20代の頃の姿であり、今作り手が抱えていたり、仕事で目にする若いタレントさんたちの姿なのかなぁと思いました
そして、自分が仕事をすることで精一杯の作中の大人たちは、とりもなおさず作り手さんが自分を顧みた姿なのかと思います
一生懸命働いているんだから子育てはしなくていいという意味ではありません
それだけ登場人物それぞれに作り手の姿が投影されているように感じるということです
「THE WORST」では、親世代に代わって子供を育む祖父母世代が登場します
職場で若者を教え導く年齢では親世代の人物、若者の少し先を見せてくれる年齢では兄、従兄弟世代の人物も現れます
彼らは必ずしも血の繋がりはありませんが、生きていく方法を教えてくれる人々です
「作ってる人、優しくなったなぁ」と思いました
「HiGH&LOW THE MOVIE」で主人公たちに投影されていたのが過去の自分だとしたら、「THE WORST」の主人公に投影されているのは後進の若者なのかもしれません
作り手はまだ祖父母世代ではないと思いますが、仕事の中で教導する人物らは作り手の姿、そうありたいと思う姿なのかもしれないなぁと思いました
そう考えると「親を演じようとして死んでしまう人物」も作り手の中にいる人格の一人なのかもしれません
その人格に対しても、つまり自分自身に対しても優しくなれる年齢になったということなのでしょうか
「HiGH&LOW THE MOVIE」のメインテーマは家族ではなく仲間との絆です
それを描くための道具立が家族関係であって、家族はメインテーマではありません
何のメッセージでもないがゆえに、不思議と作り手の気持ちというか姿というかが感じられたように思いました
と言いながらも、全部ただの設定なのかもしれないなぁとも思ってはいます
HiGH&LOW世界の型、お作法のひとつなのかもしれないし、そうかもなぁ、そうだろうなぁとも
「再生される絆は他人」と同じく「継承は血縁(二代目)ではなく他人」について、もうひとつのサンプルがありました
久世と劉は親子ですが、親子としての交流はありません
久世に新しい風を感じさせたのは実子の劉ではなく、SWORD地区の若者たちでした
九龍会分裂に際し劉がついて行くのは(義母の指示でですが)、久世の意を汲んで破壊から再生を期する黒崎ではなく、善信でした
九龍会の名前は継ぎながらも久世の望んだものとは違ってしまった組織を抱える劉と、黒崎の下で育ち初心に立ち返った九龍会を任された誰かとのお話ができても面白いのかなぁと思いますが、ジャンルが完全に違ってしまうしなぁ
それよりは、クラブヘブンで頭角を表すルードボーイズの誰かとか、変化と継承のSWORDをお話の方を観てみたいなぁと思います