映画を観終わって、公式サイトなどを読んで「希望」という文字を目にして驚きました
あのラストに希望はあるのか?
また、ちょっと作り手を呪いそうになってしまいました
けれど、一晩経って思いました
この映画には描かれていないところに希望があるのだろうと
ラスト、ダンスチームの仲間を目の前で射殺されたロ・ギスは両足を撃ち抜かれながらも、命は救われます
しかし、戦後の朝鮮半島の苦難の歩みを思うと、踊るために生まれながら足を失い、兄も仲間も失ったギスの未来に希望は見えません
けれど、ギスの命を救ったのはたった一人の兵士でした
彼を射殺することもできた兵士はあるときのギスとのやりとりを理由に彼を殺さなかったのです
(3/4に2回目鑑賞したところ、この兵士とギスの間には、これ以前に関わりはなかったようです。ギスが生き残った意味は、他に、ストーリー上ではなく、映画としてあるのだと思いました)
収容所では個人の中に、人々の間に小さな変化が生まれていました
本編中では実を結ぶことのなかった様々な変化が一つの結果を出したのが、この兵士の行為なのでしょう
一人の行いが一人の行いを変え、一人の命を救いました
神やイデオロギーの視点からギスが救われたのではありません
ギスと、命を落とした兄、仲間、他の大勢の人間の間に善と言われるものの差はなかったと思います
ただ一人の人間が一人の人間を変え、また一人の人間を変えたのです
ギスは共和国軍の捕虜仲間が子供を叩くのを「叩くな、(子供は)共和国の希望だ」と言って止めます
子供にダンスのことを口止めをしている手前のとっさのでまかせかもしれません
あるいは、共和国軍のスローガンだったのかもしれません
けれど、叩かれることが普通であったろうあの子供にとって、自分を希望だと言い、暴力から守ってくれる人がいた(たとえ一回でも)という経験は、彼に変化をもたらすものになった可能性があります
パンネの遺された妹弟たちはどうなったでしょう
自分たちを養っていた姉は亡くなりますが、家にはメファがいます
メファはダンスチームの仲間、ビョンサムの妻です
彼の願いでパンネが彼女を自宅に招き入れ、暮らしを共にしていました
パンネの妹弟たちはメファが守り育てるでしょう
彼らの命を救うのは、ビョンサム、パンネという一人一人の行いと、それに応えるであろうメファの行いです
ギス一人の未来を考えると、そこに希望を見出すことは難しいです
しかし、今の韓国の姿を見れば、希望は確かにあったのだとわかります
それは神やイデオロギーが与えたものではなく、一人が一人へ、一人が一人へと繋いできたものなのだと思います
全然関係ない話ですが、ジャクソンはM.Jacksonなんですね
ファーストネームは明らかにされていませんが、マイケルへの追悼の気持ちがあるのかなぁと思いました
80年代の韓国は軍事政権下で様々なものに制限や抑圧がありました
ギスがジャクソンとタップダンスに外の世界、自由を見つけたように、作り手の方々の中にマイケル・ジャクソンに外の世界と自由を見た記憶があるのかなぁと思いました
軍事政権下の統制について詳しくは知らないので、観てきた映画の記憶の切れ端から、そんなこともあるのかなぁと思ったくらいですが
ギスを殺さなかった兵士の台詞もはっきり覚えていなくて、来週また観に行くのですが、取り急ぎ一晩経った感想を書き残しておきます