これは初恋の物語です
主人公、詩人であるテッキは小学生に「詩人の仕事とは?」と問われて、こう答えます
「詩人は悲しい人の代わりに悲しみを詠んであげるんだ」
それでは、詩人が悲しいのでは?と重ねて問われ
「詩人は人の悲しみを詩の材料にする。だから、大丈夫」
テッキは利己的で未熟な人間でした
それが、一人の青年に出会い、恋をすることで変わります
変わるというよりも自分を発見したのでしょう
恋をして、失うことで、彼は詩を得ます
それまでも詩人と称していましたが、決して詩人ではありませんでした
再会した青年に彼は「僕は君を利用した」と言います
けれど、彼の得た詩は彼の心が産んだものです
最後に落とした涙が、紛れもない彼自身の悲しみを表していたと思います
青年と別れたあと、妻のもとへ戻ったことや、そこでうまく暮らしていること、青年との恋によって生まれた詩で受賞したこと、再会した青年にキャッシュカードを渡したことなど、テッキの変化をどう感じるかは分かれるところかもしれません
ただ、それらは周辺の出来事と言って良いと思います
この物語は詩人の恋、初恋、初めて動き、傷つくことを知ったテッキの心の物語なのです
テッキが未熟で利己的であるために、青年を始め周囲の人物がいつも彼よりも少し前にいることも印象的でした
母親の「歳をとれば男も女も同じ」という言葉には、薄々気がついていたであろう母の気持ちが感じられます
一番心に残ったのは妻の「私が欲張りだから」というセリフです
作中で、妻は徹底して俗物として振舞います
無神経な軽口を叩き、テッキのプライバシーを蔑ろにします
いよいよ追い詰められた時には、高圧的にテッキを罵り、最後は泣きながら哀願します
けれど、一度も自分を被害者としてテッキを責めることはありませんでした
それは、彼女が「(苦しいのは)私が欲張りだから」と知っているからです
青年との対面の場面でも、より上位の立場にあるものとして振舞います
けれど、青年の心を動かしたのは作中では描かれない、妊娠の告白でした
作中では、テッキが戻ってきて後も以前と同様、普通に振舞う彼女がいましたが、彼女もまた変化をしているのだろうと思います
彼女のテッキに愛とは何かを語るシーン、青年に告げる詩人であるテッキへの愛情と理解は、他人には窺い知れない彼女の深い人間性を伝えていました
印象深い人物でした
そのせいもあって、観終わった直後は気持ちの落とし所がありませんでした
妻の描き方がテッキが青年に傾くほどに悪くなってことに釈然としませんでしたし、お話自体は予定調和の進み方で終わり方でしたし、どういう感情も湧いてこないことに戸惑いました
でも、映画館を出て、「ああ、ドーナツ食べたいな」と思った瞬間、ドーナツ屋に通い詰めていたテッキの姿が蘇り、涙がふわっと湧いてきました
初恋の扉を前に何も気づかずにドーナツを食べていたテッキ
恋のもっとも美しいのは、それが始まる直前のまだ何も知らない時なのかもしれません