「鯨が消えた入り江」ネタバレ感想

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香港×台湾、クセつよ×クセつよ、どんなふうになるのかなと思っていたら、台湾ファンタジーが炸裂していました
と、観終わって半日は思っていたのですが、思い返すごとにレスリー・チャンの存在が大きくなって、台湾映画の総体と一人で拮抗するレスリー・チャンはすごいなぁ…ってしみじみ感じています
このために香港映画味は控えめにしてあったのかなと思えるほどでした

作品のお話
大枠のストーリーは、面白くて、素敵で、切なくて、観終わって心からよかったなぁと思えるお話でした
各エピソードもありがちといえばありがちな展開なのですが、心安らかにやさしい気持ちで二人を見守る気持ちになれました
ちょいちょい「その後どうした?」とか「どうしたらそうなる?」とかありましたが、「それがどうした、ガッ!」っていう台湾映画の力に、ありがたく「ですよね」と思えました

時系列を年代と年齢で把握したいので、もう一回映画を観ようか、それともNetflixに加入してメモを取りつつ観るか、悩ましいところなのですが
今の曖昧な記憶で解釈と感想を書きたいと思います

阿翔は両親を知らずに施設で育ち、養父に引き取られるも虐待を受けていました
そんな時、施設のポストに「天使宛の手紙」を投函します
その後施設は震災の被害を受け閉鎖、施設の子どもたちは散り散りになり、阿翔も養父の元を離れ台北へ出ますが、頼る人もなくチンピラとして生きていくことになりました
「人を簡単に信用してはいけない」「世の中の悪いところをたくさん見てきた」阿翔の言葉です

震災で施設から失われたポストは古道具として売りに出され、台北を訪れていた天宇の父親が買い求めました
およそ十年後、そのポストに阿翔からの「天使宛の手紙」が届きます
そこから二人の文通が十年の時間を超えて始まりますが、阿翔の時間の中での震災でポストが失われたことにより途絶えてしまいした
さらに時が流れ、小説家として活躍する天宇は盗作疑惑に自殺を思い立ち、阿翔の手紙にあった「鯨が消えた入江」に惹かれ、台湾へ向かいます
台湾でチンピラグループに身包み剥がされそうになりますが、それを助けたのが阿翔でした
これが原因で阿翔はチンピラに付け回されるのですが、阿翔は対立グループに喧嘩を売ったのではなく、身内を裏切ったのではないかと思います
犯罪グループの仲間に呼び出されて向かったところ、カモが天宇だったということかなと

劇中、阿翔は最初から天宇の名前を知っていました
文通が途絶えた後も天宇の小説家としての活躍を追っていました
先生の小説も読んでいたし、どこかでポストの秘密に気がつき、十年のタイムラグも理解していたようです
鯨が消えた入江に向かいながら、天宇の心を癒し、施設跡に近い民宿に到着すると、祈るような気持ちで写真とメッセージを新しく用意したポストに投函したのだと思います
天宇の持っていた阿翔からの手紙の中に、どのタイミングで写真が加わったのか確認したいです

天宇の気持ちは写真の言葉によって、「鯨が消えた入江」ではなく、「ここで待っている」誰かと、その場所に移っていったように感じました
夏夏は阿翔について「養父に引き取られたことが羨ましかったし、震災で離散して以来疎遠だった」と話していました
阿翔は台北でチンピラとして稼いだお金を民宿を立てようとしている夏夏に送り、そこから交流が再開したのかなと思います
民宿には阿翔の部屋があり、二拠点生活になっていますが、天宇に言われてサーフィンをし、天宇に憧れて文章を書いていた阿翔の居場所はここだったのだなと思いました

天宇は自殺を思いとどまり、阿翔と花火を見たら香港へ戻るつもりでいました
が、阿翔は追いかけてきたチンピラとの喧嘩の中で命を落とし、それを知らないまま天宇は香港へ帰ります
香港へ戻った天宇は盗作を疑われた元の小説の作者に会い、それが文通をしていた頃の阿翔を知る人物が書いた二人のストーリーであったこと、阿翔が命を落としたことを知り、文通とポストの秘密に気付くのでした

天宇が台湾の施設に戻りポストを開けると、旅の途中に阿翔が撮った写真が投函されていました
裏側には天宇の元に届いていたものと同じメッセージが書かれています
天宇は自分が「広い世界を見ろ」「台北はいいところだ」と阿翔に言ったことが阿翔を台北へ行かせ、この人生を歩ませたのだと思い、「台北には行くな」という手紙をポストに投じるのでした
(このポストが震災前のポストと違うので、阿翔が天宇のために作ったのかなぁ、そうすると写真の他の郵便物(?)はなんだろうなぁとも思うのですが、阿翔がポストを設置してからこの時までに誰かが悪戯で入れたものかなぁと納得することにしています)

天宇は自分のメッセージが阿翔に届き、彼の人生が変わることを信じて、ポストを傍にその後を生きます
途中、夏夏そっくりの別人に会ったり、レスリー・チャンが…!ったり、世界が変わっている様子はあるのですが、阿翔には再会できません
(夏夏が別人になっていることだけは納得がいきません
おそらく震災で養父から離れる機会を得た阿翔が「台北には行かない」決断をするところが分岐点だと思うのです)

阿翔との再会を香港で待っていた天宇は「ここ」を探して台湾を訪れ、旅中の列車で阿翔と再会します
今度は天宇は阿翔を知っていて、阿翔は天宇を知りません
天宇が名乗ると、阿翔は…

二人が再会する場所が「鯨が消えた入江」ではなく、花火大会の海辺であることがよかったです(厳密には列車の中ですが)
天使への手紙を投函した時、阿翔も死を考えていたのだと思います
鯨が消えた入江は美しい言葉と裏腹に、その意味しているものは死でした
言い伝えの中の存在に思えた場所ですが、劇中の鯨が帰ってきたという報道から、実在していたこともよかったなぁと思います
天宇と阿翔が約束の「ここ」で出会えたことが、鯨の消えた入江の死のイメージを塗り替え、実在させたかのようにも思えました

再会した阿翔には台北の闇と傷はなく、爽やかな青年でした
それでも、この時まで天宇の言葉が阿翔を支えてきたのだろうということは、サーフィンをしていることでわかります
天使への手紙に返事がなかったら、阿翔は生きてはいなかったかもしれないのですから
失われた最初の阿翔の人生は、今は天宇の作品の中にしかありませんが、その人生を生きて、その人生に作られた阿翔は失われてはいないと思います

以上、曖昧な記憶による感想でした

我在這裡等你

ここで、待っている

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