もう一度劇場で観てきました
ところどころ正しい情報を得て、なお覚えきれなかったところもあり、妄想の上書きです
まだ不確かな時系列
メインストーリーは、2020年
二人の再会は、2023年
2003年に天宇のご両親がなくなって、阿翔は台北で後に「漂流島」を書く福祉の方と出会っています
阿翔が天宇に手紙を書いていたのは、2000年(だったような)
天宇は両親と死別して以来、寂しい時に手紙を書いていたとありますが、それは幼い頃の話だと思うので、阿翔の天使への手紙がそれへの返事だったのかどうか、ちょっとわかりません
2003年以降のしばらくの間、天宇が両親への手紙をあの赤いポストに投函したとして、それが2000年の阿翔に届いたとして
「寂しい時に」ということは何通か書いているはずなので、全部届いたのかなとか、たまたま一通が奇跡を起こして海に空いた穴を通るように届いたのかなとか
ただ、阿翔は天宇に「両親に会えたか」聞いているので、両親に会いたいという天宇の手紙を読んだのだろうなとは思います
「天使が亡くなった両親に会いたがっている」という発想がわからないところも引っかかっているのだけれど、阿翔が感性の鋭く情緒豊かな子供だったということかなぁ
2000年から2003年までの間に阿翔は台北で養子に迎えられ、施設は地震で損壊し、後に移転し、天宇家族は台北を旅して、施設の赤いポストをお土産に購入しています
疑問だった「天宇、死なないで ここで待ってる」の写真は最初から天宇の手元にありました
この世界は、2020年の阿翔のメッセージが2000年の天宇に届くことが予め決まっている世界でした
レスリー・チャンの2023年ワールドツアーと墾丁の花火大会(2023年7月22日)の時系列は、香港のコンサート、花火大会、台湾のコンサートという順序なのかなと思いますが、ツアーのチケットとかポスターの日付を見落としてしまいました
この順序だと、天宇が台湾を訪ねている理由がチケットを送ったコンサートでの再会を願ってのことかなという想像ができるので
「なぜか届いた未来のチケットを大切に持っていた阿翔」と天宇が一緒にコンサートに行くという未来が見えるので
そうだといいなぁと思います
ストーリー上のあれこれ
阿翔は仲間を裏切って天宇を助けたのかな、だから執拗に追われたのかなと思っていたけれど、そうじゃないと考えを改めました
阿翔は天宇が身ぐるみ剥がされかかっているところに現れるのだけど、「やめろ」みたいなことを言った後に天宇の顔が映し出されるので、阿翔の認識もそうなのだろうと思います
通りがかりに犯罪を見咎めたら、被害者が天宇だったという流れなのかなと
そうすると、この時には阿翔は悪事からだいぶ足を洗っていて、せいぜいちょっとぼったくる程度のフリーの地元ツアコンを生業としていたのかもしれません
そのきっかけは夏夏の民宿開業と、そこに居場所を得たことだったのかなと思います
天宇を助けたことで悪縁が復活してしまったのかなと思うと、「俺のせいか?」「他に誰の」(うろ覚え)に阿翔の心の揺れが見える気がします
阿翔が初めて「天宇」と名前を呼ぶのは、聖なる岬の後でした
それまでは、阿翔は自分が誰かを明かすつもりはなかったのかなと思います
天宇の職業を知っていると思われる台詞は聖なる岬以前からありました
天宇のスキャンダルをネットで読んでいるところは服を着ていないので定かでないけれど、天宇が助けられて目を覚ました台北の自宅のドアの外だと思うので、最初から事情を知っていたはずです
どこまで関わるか(天宇の心の傷をどの程度深刻に考えるか、自分のことを伝えるか)、腹を括ったのが聖なる入り江のところだったのかなと
天宇の名前を呼び、「もう嘘はつかない」と約束して以降の阿翔は「自分が誰か」のヒントを出し続けていました
天宇が廃墟になった施設のポストを開けた時に、写真の他に入っていた手紙
幼い頃の天宇が寂しい時に出した手紙のうち、阿翔に届かなかった数通かなとも思います
けれど、この後に天宇が出す阿翔への「台北へは行くな」の阿翔に届かなかった数通かなとも思います
どちらかというと、そっちかなと思うのです
というのは、ポストが新しい方だから
これをいうと興醒めなのだけれど…、このストーリーは2026年の天宇が語り手なので、そもそも映画を観ている今とは別の世界なので(コロナ禍の時期も違うし)
作品中も分岐になりそうなところが他にもあるので(天宇が寂しい時に書いた何通もの手紙の行方)
天宇が書いた「台北へは行くな」という手紙の数だけ、分岐した世界がありそうな気がするのです
何通もの手紙の一通が届き、届かなかった手紙はポストに残り、一通ごとに世界が生まれているという解釈です
(では、なぜ写真は残っていたのか?というと、そうですよねぇって思いますが…)
前のブログでは誤解していたけれど、阿翔は文通して、台北へ行って、養子になっているので、この世界の2023年には「漂流島」はないんですね
けれど、天宇の2020年の作品に文通する二人のお話は残っていて、台湾から帰って遺書みたいに託していた作品を書き直した中には、2020年の台湾での阿翔との時間は残っています
今回観直して、阿翔の心の揺れや気持ちの変化や決断が見えたのがよかったです
「入り江に連れて行けなかったら車に飛び込む」という台詞の悲しい実現とか、滝で話した「来世」とか、あぁ、そうだったのかと思う部分がいろいろありました
最初のうちの阿翔がのらりくらりと自殺だけは阻止して済ませようと思っていた(と思われる)のは、今の自分に後悔があったからかなと思います
滝のシーンで「(海の王にはなれない)頭が悪いから」と言ったり、「(サーフショップも)潰してしまう」と言ったり、「(願いが叶うのは)来世」と言ったり
はっきりと自分が文通をしていた少年だと言えなかったのは、タイムラグを信じてもらえないからよりも、住む世界が違うという思いがあったのではないかなと
花火大会の前夜の天宇の「明日言う」次の行き先は、阿翔にとっては「死ななかったら一緒に行く香港」であり、叶わないと思っていたことが叶う来世であり、恥じることなく自分が文通の少年だと伝えられる明日だったのだと思います
暴行から逃れて、事故に遭って、路上に伸ばした腕の先は、そういう明日だったのだと
香港に帰った天宇が真実を知って、台湾に戻り、手紙を書いて、3年
再開した二人が海辺で語り合うのは、天宇の知らない今の阿翔の23年間の話で、それは阿翔が恥じることなく語れる「来世」で得た人生なのだと思います
でも、2020年に天宇が出会った阿翔も、その人生も、天宇の中ではなくならないし、大切な阿翔です
いいなと思ったことの一つは、語る天宇がいるのが2026年だということです
さらに流れた3年の月日は、再会しました、めでたしめでたしではなく、その後の人生が続いていることを意味しています
それは語られないけれど、きっと幸せで素敵な人生なのだろうなと思います