「鯨が消えた入り江」、Netflixか、もう一度劇場で観るまでのメモみたいなもの(ネタバレ)

阿翔が初めて手紙を投函したのは、2003年らしい

作中でも表示があった気がするのだけれど、覚えていないのですが、他の記事のどれも「2003年」と書いてあるのです

 

そうすると

2003年

阿翔は10歳と仮定します

難しい漢字も使っていますが、福祉の方(のちに「漂流島」を書く先生)に教わっている様子があります

12月に台湾東方沖地震が発生します

施設が損壊したのはこの地震だと考えると、文通は一年弱続いていたのかなと思います

阿翔は一年中夏の装いですし、天宇は軽装ですが、香港も暖かいので季節がわからないのです

(震災の後に天宇の父親はポストを手に入れていて、台北旅行との時勢が今のところ分かりません)


2013年

阿翔は20歳、天宇は「院生だった頃」と言っているので22歳以上

阿翔に「僕もそのくらいの年齢から小説家になりたかった」と言っているので、この頃には作家活動を始めていたのだと思います 


2019年(と仮定した理由は後ほど)

阿翔は26歳、天宇は28歳以上

阿翔は「他の人が忘れることも俺は覚えている」と言っています

阿翔は文通のタイムラグに気づいているので、天宇にとっては6年前のことだとわかっています

天宇の作家としての活動も知っているので、充実した日々を送る天宇は忘れてしまっていて仕方がないと思っています

けれど、阿翔にとって16年前の天宇との文通は忘れられない思い出で、それは他に覚えておきたいことのない16年だったということ、あの思い出だけを縁に生きてきた16年だったということだと思います

「他の人」とは他の恵まれた人々であり、天宇のことでもあり、「俺は覚えている」とは、底辺を生きてきた阿翔の叫びのように感じました

 

天宇が台湾を訪れた年を2019年だと思う理由は、新型コロナウイルス(COVID-19)を理由とした各国の入国制限です

台湾の入国禁止期間は、2020.3.19〜2024.4.30
香港の入国禁止期間は、2020.2.25〜2023.3.31

2020年に天宇が台湾に入国し、香港に帰るには、2月24日までに台湾を出なければならないのです

また、阿翔の死を知って台湾に戻って、また香港に帰ってくるわけなので、そこを2月24日までとすると、2019年かなぁ…と

台湾では海で泳いでいましたが、台湾南部は一年中泳げる水温みたいですし、香港で打ちひしがれていた天宇の服装もまた当てにならず、いつなのかなぁ

作中で、表示があったかもしれませんが、覚えていません

 

天宇が香港で阿翔に手紙を送っている頃、世界は新型コロナウイルスの災禍の中でした

天宇は届くかもわからない、届いたとしても行き来の叶わない状況で阿翔にに手紙を送り続けており、返事を待っていたのだと思います

レスリー・チャンのコンサートは、2023年

レスリーがどうやって入国制限中の台湾でコンサートを開催できたのかは不明ですが、ここでも天宇が台湾に行くことも、阿翔が香港に来ることもできません

 

2024年

阿翔は31歳、天宇は33歳以上

天宇が台湾を訪れたのは、ようやくそれが叶う時が訪れたからでした

 

天宇が阿翔に手紙を送り、再会を待ち望んでいた期間は、世界の誰もが会いたい人に会えず、再会の日を待ち望んでいた期間でした

その中には二度と会えない別れもあったでしょう

運命が変わる可能性がなければ、天宇と阿翔もそうなったはずでした

作中で二人の世界(運命)が変わり再会を果たせたことは、災禍によって会いたい人と会えずにいた人々の世界が変わり、また人生を共にできるようになった今とも重なります

けれども、再会の果たせない別れをした人々、二度と会えない大切な誰かを思う人々にこそ、天宇と阿翔の再会は救いになったのではないかと思います

「ここで、待っている」

は、二度と会えない誰かから言葉でもあり、その誰かへの自分の言葉でもあるのだと思います

 

おしまい