わたし自身が平等な社会を拒む邪魔者になる。嫌だよ

タイトルは「虎に翼」の小橋の名台詞をもじったものです

掲げておきながらなんですが、私はこのドラマを観ていません

ネットに流れる記事を読んで、とても心に残った台詞なのです

 

先日、お友だちとアフタヌーンティからのコーヒータイムを楽しんでいた時のこと

おしゃべりに興じながら、帰宅してそれらを反芻しながら、考えたことがあります

それが、いつか自分自身が平等な社会を拒む邪魔者になる可能性でした

 

変化を拒む理由は、理解ができないから

理解ができないのは、情報を受け入れられないから

情報を受け入れられないのは、容量が足りないから

容量が足りないのは加齢のためだけだろうか、疲労のためだけだろうか

仕方がなくない、仕方があるのではないだろうかということを考えてみました

 

短期記憶の説明にしばしば上げられる情報を載せておくテーブルですが、思考にもテーブルがあるのだと思います

このテーブル、お片付けが苦手なタイプの場合は、情報が雑然と積んであるのでしょう

古いものがテーブルから落ちても気づかない場合は、次々新しいものを載せて、それが自分の思考であると口にし、行動し、振り返らないのかなと思います

古いものを落とさないテーブルでは、もう載せられない情報が表層雪崩を起こしているのかもしれません

いずれにしても、それまでに自分が得た情報との精査はされません

お片付けが得意なタイプの場合は、テーブルは整えられているのでしょう

でも、整え方は人それぞれ

年代別かもしれないし、ジャンル別かもしれないし、でも、どの情報も等しい扱われ方をしているというのはレアなのではないかと思います

好きな情報は手に取りやすい位置にあるでしょうし、しばしば手に取ればその情報の価値は強化されるでしょう

もし、強固な信念に基づく本棚のようなものがあれば、新しい情報はその本棚を満たすため、より強固にするために使われるのだと思います

新しい情報はその真偽や内容ではなく、自分の本棚の「正しさ」に対する価値を精査されるのです

整えられたテーブルであっても、テーブルいっぱいにみちみちに情報が載せてあれば、新しい情報は手元でぱぱっと取捨することになります

テーブルにゆとりがあっても本棚が強固であれば、受け入れた情報が人を変えることはありません

 

変化を拒む人にとって、テーブルに載らない情報の押し付けは暴力で、本棚を壊そうとする情報も暴力で、だから必死で抵抗しますし、それは痛みを伴っているのだろうと思います

自分はどうしたらいいのかなと思うと、まずはテーブルの拡張に努める、テーブル自体の増強に努める

それからテーブルに隙間を作れるよう情報のこまめなアップデートをする、自分にとってわかりやすいアプローチを探す、そしてやめない

それから、疲れを溜め込まない、絶望しない、開き直らない

 

それと、もう一つ

自分の本棚を疑うこと

大した人生でもなかったし、特別な教育も受けていないし、それほどの主義主張・信念といったものは持っていないと思っていますが、きっとそういうことではないのです

ずっと使っていたトイレットペーパーがある日変わっていた

あれ?なんだ、これ、いやだなと思う

たぶん、それくらいのささやかでうっすらとした、けれど全身全霊に染み渡っていて見えないけれど消えないもの、それが本棚なのかなと思います

しかも、この本棚、TPOを弁えている

トイレットペーパーだって外出中に使うものについては何も思わないのに、自宅やいつもの場所だと急に「なんだ、これ?」って思うのです

だから、厄介

 

本棚自体の解体はとても大変です

だから、疑って、時々中身を入れ替えて、たまに人に背表紙を見てもらう、開いて引用箇所を読んでもらう、そういうことが必要なのかなと思います

きっとその人たちは、いつか私が平等な社会を拒む邪魔者になりかけたら、「あなたが暴力だと訴える、その痛みがわかるよ」と言ってくれると思います

そして、私はその人たちの「その痛みの先に行きましょう」という言葉を信じることができると思うのです