「我らが少女A」ネタバレ感想

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浅井忍はなぜ死んだのか

 

この疑問が頭から離れず、考えて考えて出した結論は
「上田朱美と事件を結びつける最後のピースだったから」
でした
けれど、そう結論を出すまで、いえ、出しても、苦しいです

 

朱美の周りで事件後に亡くなった人物は二人
母親、亜沙子は記憶を抑圧していましたが、事件の朝、帰宅した娘から血の匂いを嗅ぎ取っていました
その記憶に蓋をしたまま病死しました
高校時代の学友、浅井忍は事件直後、犯行現場に通りがかっていました
物語の最終盤に交通事故で亡くなっています

 

浅井忍は事件の年、朱美を街に探しては携帯で撮影しており、事件の際に着用していた服装も知っており、彼の脳はとっ散らかっていますが、たくさんの記憶を秘めていました
ですが、彼はそれらを掘り起こすことはやめ、服薬による重たく憂鬱な脳を選びました
携帯も事件の時間帯には持っておらず、消された画像がある可能性は低く、また彼の特性から忘れた事柄はあっても、意図的に隠している、嘘をついている事柄がある可能性は低く、彼が事件の証人になることは考えられません
それでも、状況証拠の最後の細い糸が彼がいる限りは消えなかった
だから、死んだ、物語として死ななければいけなかったのです

 

物語はかつて朱美の周縁にいた人々の現在に展開します
事件から12年間、それぞれが抱えていて隠していた疑念や痛みが、朱美の死と事件の再捜査の動きによって、彼らの自覚するところとなり、それぞれに扱い方、納めどころを模索して得て、現在の自分の居場所、明日の方向を見出してゆきます
病死はしますが、朱美の母、上田亜沙子も
事件の被害者・節子の娘の栂野雪子も
雪子の娘であり、いっときは朱美の親友とも思われた栂野真弓も
朱美の幼馴染、小野裕太も
そして、朱美の高校時代の学友、浅井忍もです

 

ただ、浅井忍の居場所と明日は他の人々とは違いました
娘を弔って迎える穏やかな死、第二の人生、出産、結婚ではなく、浅井忍の居場所は適応しなければいけない社会で、浅井忍の明日は社会に適応する自分でした
服薬を怠らず、生活リズムを整え、仕事をし、忘年会に参加し、人の話に相槌を打つ、そうして社会に適応し、一人で生きていける自分になる、それが彼の決断で、彼が得ようとしたものでした

 

だから、死んだの?
と、読み終わった直後思いました
それまでの自分を捨てて、殺して、苦しく生きることがかわいそうだから、浅井忍は死ぬべきだというの?

衝撃で頭がガンガンしました
「らしさ」を強いることは、「らしさ」を奪うことと同じ暴力です
より理性的・合理的な判断を下す能力のある人間は、他者の人生に介入する権利がある、あるいは義務があるとさえ思う、それは差別です
浅井忍は自分で考え、自分で選んだ
その彼の現在と未来に誰も介入する権利は持たない
髙村薫がそんなことするはずがない、するはずがない、するはずがない…

 

散々煩悶して、気がつきました
物語に描かれたことと、そこから生まれた自分の感情をごっちゃにしてはいけない
自分の感情を作者の意図だと思ってはいけないと
私にわかることは、文章に描き出されたことと、物語の構造です
構造を考えると、「浅井忍は物語の幕を引くために消されなければいけない最後のピースだったから、死んだ」のです

 

浅井忍の交通事故死が小さな記事になったとしたら、読んだ人は「ADHDの青年が不適切な判断で自転車に乗り、不注意な運転で事故に遭った」と思うでしょう
けれど、そうではありませんでした
社会に適切な人間であろうと忘年会に参加し、飲食に付き合い、会話をし、社会に適切な人間として出勤しようとし、事故に遭ったのです
彼を知らない人間、知ってる人間であっても、ほとんどの人には、それはわからないでしょう
けれど、浅井忍の「少し早いけれど、MerryChristmas」のメッセージを受け取った人間にはわかるのではないかと思います

 

 

朱美についても書きたかったけれど、もう余力がありません
浅井忍の衝撃は、凄まじかったです
言葉にすることが大変でしたし、言葉にできなかったことも、大声で叫びたいこともありました
それに関連して、少しだけ気になること
著者は後書きで各方面の関係者に謝意を述べていますが、そこに医療・福祉に関わる人の名前はなかったように思います
そもそもの知識も豊富でリサーチも緻密な方と思うので、それらの裏打ちがないとは思わないのですが、あれ?と思いました