「兵卒タナカ」を観て その二

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物語について、あと少し
疲弊する稲作農家と、農家から利息を取り立てながら自身は納税に苦しむ金貸しなど、資本主義と国家体制への言及が興味深かったです
タナカの両親は食うに困り、借金の利息も払えず、娘を売りましたが、突然帰郷した「陛下の軍人さん」である息子をもてなすために、そのお金を使いました
娘には「返せない額を借りたので、返済できて家に戻って来られると思うな」と言いながら、迫られる返済や今日明日の命のためだけではなく、来年再来年の凶作に備えて余分に借りて隠しておいたのでしょう
その蓄えを「陛下の軍人さん」に使い果たしました
このように執着した自分の命が「陛下の軍人さん」の前では紙一枚に及ばぬ軽さになります
自分の命、娘、お金、それらの混沌を「陛下の軍人さん」は一気にクリアにし、わたくしの思考を奪い、責任から逃してくれます

アフタートークでラストシーンについての観客の方からの感想が披露されました
ラスト、死刑に処されるタナカに銃を向けるのは貧困に苦しむ農民として舞台にいた人々でした
舞台奥から銃を向ける人々に向かって、タナカは舞台手前で両腕を広げて立ちます
そこで暗転し、物語は終幕を迎えます
その感想は「タナカは彼らの向ける銃から観客を守っているようだった」というものでした
タナカを挟んで対立する二つは、過去と未来・可能性か
無知、盲信、疲弊や、国家主義全体主義、舞台の俳優側にはいろいろと思いつきました
けれど、観客の側、自分は何かということは、随分考えたのですがわからないのです

今はタナカの向こうに見えるのは鏡像ではないかと思っています
無知も盲信も疲弊も私、国家主義全体主義も今の世の中に見え隠れしているもの
いつか私もタナカのように声を上げる人を背後から撃つかもしれません
これまでもそういうことがきっとあったと思います
舞台では法に則った刑罰として銃が向けられましたが、今、私は法に則ることもなく、背くこともなく、銃もなく、人を背後から撃つ手段をいくつも持っているのです
それでも、タナカがこちら側を守るために立ったという感想に共感します
タナカが謝罪を求めたのは、自分と、他の全ての人々に対してだったからです