映画「新聞記者」

「新聞記者」観て来ました

shimbunkisha.jp

あまりメディアに取り上げられる様子もないまま、映画館に大きな看板だけが静かに立ててあって、最初は観るつもりはありませんでした

面白くなさそうなのではなくて、この世の不正義・不条理を観るのは、もう嫌だなぁという気持ちがあったからです

すでに知っていることをどうして映画で観なければいけないのか

観るならば、外国の映画に仮託して欲しい、それで十分「日本もそうだよね」ってわかるから

と思っていました

けれど、「映画として抜群に面白い」と聞き、そういう抜群に面白い映画が、良し悪しは別として一つのレッテルを貼られることで敬遠されるというのは如何なものかと思い、観に行こうと思ったのです

 

結論から言って、面白かったです

誇張のない演出と演技、美しい画面構成、紙擦れと息遣いの生む臨場感、官僚と新聞記者、その家族という“ごく普通の人々”の生き様

新聞が印刷所で刷られ、販売店へコンビニへ人々の手に届くまで、その一面に確かに吉岡の記事が確認できるまで、観ていて手が震え、デスクの二つ目の知らせ「いいニュース」には泣き、「新聞記者もの」として十分な面白さがありました

扱っている素材の即時性にも配慮があったと思います

事件、事故を映画、娯楽とするには、一定の時間が必要です

「新聞記者」は、それが不要な素材、「対象が大きすぎるのでむしろ大丈夫」なネタを扱っている印象がありました

ですが、そう言った「出来栄え」「作り方」について語るだけでは、この映画の感想にふさわしくありません

 

主人公の一人、若手官僚杉崎は出向先の内閣調査室の「国家のため」「国家を守るための政権安定のため」の民間人へ及ぶ不法な捜査、介入、情報操作に疑問を抱いていました

尊敬する元上司神崎の自殺をきっかけに、官僚一人を自殺に追い込むまでして内調が隠蔽しようとしている「新大学設立」の秘密を、もう一人の主人公吉岡と共に告発する決断をします

吉岡は、時の政権によって“誤報”と握りつぶされたスクープをきっかけに自殺した新聞記者を父に持つ若手社会部記者です

二人の明らかにした事実は新聞一面で報じられますが、翌日、杉下、吉岡は内調室長多田に圧力をかけられます

杉下と吉岡が暴いた「新大学設立」の裏側は「プロジェクトの民間企業への利益供与」と「国民を欺いての軍事目的の研究施設設立」でした

しかし、杉下は神崎を死に至らしめた最後の秘密、その民間企業と現内閣総理大臣間の金銭授受、癒着を知ります

作中の台詞「この国の形だけの民主主義」を剥がした裏に現れたのは、国家でも、国家のための政権でもありませんでした

ラストシーンで、多田の圧力(脅迫)をはねつけた吉岡は杉下の元へ急ぎます

国会議事堂の前で道路を挟んで対峙する二人、官僚の罪、省庁の罪と切り捨てるだけでは済まされない、国民が知っているこの国のかたちそのものが欺かれている事実に憔悴する杉下の乾いた唇は「ごめん」と動いたように見えました

 

最初、私はこの「ごめん」が受け入れられませんでした

映画、フィクションとは、現実の一歩二歩先を行くものではないのか?

現実のよく似た事件ではこの後、官僚が実名で告発し、国会でも問題にされました

何故、この映画はその前で止まってしまうのか

その答えは、二人のスクープが一面を飾った日、デスクが吉岡に伝えた「いいニュース」にありました

「読売、朝日もこのニュースの後追いを始めた」

不正、不条理を糾すのは正義に突き動かされた一人の記者、一人の官僚の仕事ではありません

この映画のタイトル「新聞記者“たち”」の仕事なのです

杉下が舞台を去っても、事件は終わりません

新聞記者たちがいるからです

 

吉岡は日本人記者を父に、韓国人女性を母に持ち、アメリカで育ちました

より制約の厳しい旧弊残る日本で記者となることを選んだ彼女は、周囲から浮いた存在です

彼女のツイートへは誹謗中傷も少なくありません

彼女の母親を問題とする民族主義的な差別攻撃も多かっただろうことは、作中で描かれてはいませんが、察して余りあります

彼女の設定は、複数の世界に足を置く人間、日本を俯瞰できる視点を持つ人間ということか?というと、多分違うと思います

彼女は父親の汚名を雪ぐという、近視眼的な願いを抱えています

しかし、その個人的な目的は彼女をジャーナリズムとは?という課題に導きます

ジャーナリズムに国家、民族はありません

彼女は、ただ新聞記者だから、この事件を追うのでしょう

 

終わってみると、見事な収束を見せるこの映画には、見所が満載でした

シム・ウンギョン、松坂桃李の演技は、必見です

おすすめです

 

追記

あの目を塗りつぶされた羊は私たちだと思いました

娘のために描いていた羊の目を塗りつぶす神崎の悲痛を思うといたたまれません

神崎には背負いきれない事実でしたが、杉崎も背負えないと思っていたら神崎は手紙を残したでしょうか

杉下は一人ではありません

あの「ごめん」が言葉になることはないと、そう思いたいです