映画は、2018年W杯、フランス優勝に沸き立つパリの街角から始まります
私にはちょっとした暴動に見えるくらいの盛り上がりを見せる群衆の中に、誇らしげにフランス国旗をまとう移民の子供達の姿がありました
彼らの地元、モンフェルメイユが映画の舞台です
ドキュメンタリーとしか思えない緊迫感がありましたが、映画で描かれた事件の一つ一つに元となった実際の出来事があるそうです
差別と貧困の中で、民族、信仰、職業を理由に対立する人々
彼らは暴力を行使し、或いは抑止力として利用し、危うい均衡を保っています
その歪んだ均衡の犠牲になるのが子供というもう一つの弱者たちでした
物語のそこここで観客の中に笑いが起こる場面がありました
そんな笑って済みそうな事柄が、大人の対立構造の中で歪んでしまいます
その歪みを正そうと大人は子供を犠牲にしました
社会で弱い立場にいる人々が生き延びるために、他の弱い立場の人々を犠牲にする
犠牲にされることで彼らはそれまでのグループを横断した新たなグループを生みます
新たな塊は従前の約束事には関わりのない存在です
大きく社会を脅かすでしょう
ラストシーンの後、物語の向かった先はどこだったのか
主人公の一人である少年を介抱し、ライオンから守ろうとした警官の存在が、どれくらい彼を救えるのか
ドアの内側にいる少年(恋をしている)は目の前の暴力にどのような判断を下すのか
大人たちの他人には見えない一面が後半に差し込まれるところもよかったです
世の中には悪い草も悪い人間もいない
ただ、育てるものが悪いだけだ
彼らは自分たちの家族を悪いものに育てようとはしていませんでした
育てるものとは、個人ではなく環境なのでしょうか
でも、その環境は人が関わり合いの中で作り上げているもので、人の責任は否めないとも思います
とても衝撃的な映画でした