「小さき麦の花」を観て思った社会のこと〜ネタバレ感想

「小さき麦の花」を観ていて思ったこと

社会について

ヨウティエに献血を求める家のこと
大きな現代的な家に住んでいて、息子はBMWに乗っていて、回る中華卓で食事をする家で、村人から収穫物を横柄な態度で買い取っているけれど、村人に対して借地代を滞納しているという
一見、地主に思えたけれど、実際は同じ農民が他の農民の農地を借り上げて、彼らに小作人のように耕作させ、収穫物を買い占める権利を得て、それをより高値でおそらくは街などで売って利益を上げている
空き家を壊して助成金を得、建て直して人を住まわせて助成金を得る人間も現れる
彼は同じ村の出身だが、ヨウティエらとは一世代ほど違うようだ
町で働き、町で暮らし、村に旨味があると知れば、それを吸いにやってくる
ヨウティエに貧困世帯向けの共同住宅を申請させたのも、ヨウティエの甥で、村からは出て暮らしている若い世代
福祉の観点からではなく、破格の値段で購入できる物件に投資するという意識らしい
彼らは制度の隙間、綻びに敏感にお金の匂いを嗅ぎつけるが、制度を超える新たなシステムを作り出したものは作中には出てこなかった
ただ目端の利くものが、新たな格差を生んでいる
(映画から離れて考えると、彼らのような人の中から構造自体を変えるものが現れるかも知れないが)
村の老人や彼らの親世代は、彼らに敬意も畏怖の念も抱いてはいない
ただ目端が利くだけの人間だからだ
けれど、彼らと同世代、その下の世代になれば、彼らは尊敬を集める、地位のある人々になるのだろう

社会制度は異なるけれど、貧しさをベースに、わずかな差異に収奪の構造を見出す姿が、助成金の不正受給などが頻発する日本とよく似ていると思った