「兵卒タナカ」を観て その一

officecottone.com

ストーリーはシンプルです
貧しい農村に兵役中のタナカが帰省してくる
それを両親が大いにもてなす
タナカは妹を紹介しようと隊友を連れてきたのだが、妹の姿はない
後日、隊の仲間と遊女屋を訪ねたタナカは、遊女となった妹と再会する
凶作続きで嵩んだ借金の形に妹は女衒に売られており、その金でタナカは歓待されたのだった
ここまでは、タナカの帰省の時点で察しがつきます
タナカと妹が話しているところに、客としてタナカの上官がやってくる
部下として上官に、兄として妹を、遊女として差し出すことができなかったタナカは妹、上官を手にかける
この展開もわかります
タナカは上官及び遊女(出自不明)殺害容疑で軍事法廷に引き立てられる
当初は黙秘を貫いていたタナカだったが、事実を知りたいという裁判官の真摯な問いかけに全てを打ち明ける
裁判官は遊女殺害については不問、上官殺害の罪によって死罪の判決を申し渡すが、タナカに陛下に恩赦を願い出ることを勧める
しかし、タナカは「謝罪すべきは陛下です」と、その勧めを断り、死罪が確定する

一番衝撃を受けたのは法廷のシーン
この物語が大正時代を舞台にしていたとわかった時です
「陛下の軍隊のために国民の血税が注がれ、貧困のうちに命を落とすもの、命のために娘を売るもの、親に売られるものがいる」
いつの時代でも、このようなことはあったでしょう
けれど、軍隊と陛下から昭和の物語だと思って観ていました
大正時代の物語だとわかり、「この先、もっと酷いことが起こる」と知っていて、この物語のラストを迎えなければいけませんでした
タナカの陛下への謝罪の要求は、タナカの許したいという希望です
謝罪と許しから今とは違う未来がつくられます
この時に未来が失われた、その後が私の知っている昭和です
タナカが農村の貧しさを訴える姿には、二・二六事件を思い出しました
これは明治です
明治で武装決起だったものが、大正では個人の対話の要求になり、昭和ではどうだったのか
沈黙だったのではないかと思います
「兵卒タナカ」はフィクションですが、この物語を明治と昭和の間に置いたことには、作者の意図があるのではないかと思いました

この戯曲の作者はゲオルグ・カイザー氏、ドイツの劇作家です
Wikipediaの情報はわずかですが、アフタートークで伺ったお話では、ナチスの迫害を受けながら執筆活動をされていたそうです
没年は1945年6月4日、ドイツは降伏していましたが、日本は降伏前です
状況からして昭和を舞台に描けるはずもないのですが、大正を舞台としたことで、一人の青年の物語が三つの時代の流れに刺さる小さな、けれど深く、抜けない棘となっているように感じました

続きます