とても良い作品でした
とても古臭くて、とてもダサい
30年前、50年前にできていても構わない映画でした
目新しい設定も、観たことのない映像も、聞いたことのない台詞もありません
それが、とても素晴らしい映画でした
あらすじは追わずに、心に残ったことを書いていきます
ソヨンが「生まれてきてありがとう」というシーン
親に捨てられたドンス、ヘジンが安らかな笑みを浮かべて聞いている一方で、そういった過去はないであろうサンヒョンが泣きます
ドンス、ヘジンが子供として母親の言葉を聞いたのに対し、サンヒョンは親としてその言葉を聞いたからだと思います
観覧車でドンスはソヨンに「このまま家族になろう」「自分がウソンの代わりにソヨンを許す。自分が母親を許す代わりに」と言います
ソヨンはドンスの許しは受け入れますが、家族になることは受け入れません
サンヒョン、ドンス、ウソン、ヘジンの旅を尾行する刑事二人、スジンとウンジュですが、私は最初、スジンにはソヨンに冷淡にならざるを得ない過去があるのかと思っていました
けれども、ないようです
スジンの暴走をたしなめるウンジュはフラットでライトな若い世代なのかなと思っていました
けれどもそれだけの役回りではないようです
ぱっと見、二人は四人の旅の観察者・解説者として、観客の目と気持ちを代弁してくれているようですが、観客の代理ではないのだと思いました
不正、不公平、不平等に苛立ち、狡いことに怒りを覚えるスジンは社会
対して、ウンジュは法律なのだと思います
もう少し言うと、法による裁きです
ウンジュはスジンの怒りや偏見に都度都度異を唱えますが、その時「わからないけれど、彼女の考えていることは、そうではないと思う」と、彼女の心を思います
裁きとは「その人はどうしてそれをしたのか」と言う心を問うことだと思いました
話は戻って
ソヨンの「生まれてきてありがとう」、ドンスの「家族になろう」「許す」は、ドンス、ヘジンの心、ソヨンの心を救いました
けれども、それだけでは人は、ウソンは生きていけないことを、ソヨンとサンヒョンは知っています
だから、ソヨンは三人を売り、サンヒョンはそれを認めたのだと思います
ソヨンたちが刑に服している間、ウソンを預かっていたのはスジンでした
スジンは社会です
人間が肉体として生きていくには場所、社会が必要だということだと思いました
そして、社会は変わるのだということだと思います
スジンが変わったように
最後の最後でサンヒョンだけが、ソヨン、ドンスが得たやり直しの道から外れてしまいます
サンヒョンには「生まれてきてありがとう」という言葉を受け取ることも、誰かに与えることもできませんでした
その資格というとちょっと違うのですが、妻に対して、娘に対して、失格者であったサンヒョンは、ソヨン、ドンス、ウソンに親として(血縁は関係なく、また親子という関わりではなく、人と人の関係性において)できることをしなければ、次に進めなかったのだと思います
ラスト、ソヨン、ドンス、ウソン、ヘジン、スジン、あのご夫婦が再会し、ソヨンとウソンの新しい生活が始まることが示されます(ここにウンジュの姿がないことは、裁きが終わったことを意味しているように思えました)
それを見届けるようにサンヒョンの車が現れ、去ります
サンヒョンは逃亡を続けるのでしょうか
そうではないと思います
サンヒョンもまた、心を許され、裁きと服役を経て、社会に帰る時が来ます
この映画は、そういう映画なのだと思います