ちょっと前のことです
ハイカーさんが「よかった」と書いていらしたので、いつもそうですが事前情報なしで観に行きました
観終わってから目にしたいくつか記事には「コメディ、笑って、最後号泣」と書いてありました
劇場で、中盤以降、物語が走り出すまで、笑う人はいませんでしたよ
それは、つまらないということではなく、もはや人々にとって「孤独死」や「社会に馴染みにくい特質を持った人」が笑いの素材ではないからではないでしょうか
のっけから観客は胸を痛めており、だいぶ経って、物語に馴染んで、ストーリーも孤独死の現場を離れたあたりで、ようやくほっとしたような笑いが漏れ聞こえてきた感じでした
作品はそういう作品でした
一重に記事が間違っているのだと思います
でも、それが分かりやすく伝わりやすい、「笑って泣けるなら観にいくか」という観客に届けるベストな文言であることも事実なのかなぁとも思います
世の中には「笑って泣ける」作品は数多あり、その中で作り手はどのように笑い、どのように泣く作品を作るかに必死で取り組んでいるのだと思います
それが皆「笑って泣ける」で片付けられることに、それらの記事は作品を愛しているのかなぁという疑問を持つこと、しばしばです
けれども、「笑って泣ける」作品を観て、そこに様々な想像もしなかった笑いや涙を見出すことも映画であり、そうならば「笑って泣ける」以上のことを言うのは野暮と言うものかもしれません
ただ、この作品に関しては「孤独死」や「社会に馴染みにくい特質を持った人」を観客が最初から笑いとして消費すると踏んで、こういった文句を用いたのかなと思うと、どうにも納得がいかないのです
では、物語は「笑って泣く」ストーリーだったのかというと、終始ひたひたと切ない痛みがあって、ふとした景色や人とのやりとりに一瞬心が緩み、そこに笑いがこぼれるようなお話でした
内容についての感想は、また