「カササギ殺人事件」アンソニー・ホロヴィッツ著 の感想 その三

ネタバレしています

 

本著「カササギ殺人事件」内小説「カササギ殺人事件」は、1955年を舞台にしながら現代の倫理観を持つ人物を配することで、アガサ・クリスティの時代の差別と偏見を否定してみせました

その一方で、当時の差別の残滓、形を変えた現代の偏見を顕にしました

「それは差別・偏見だと知っている」ということに安住することが、また別の偏見を生むことも描かれていました

最終章では、さらにもう一つ問題が提起されています

 

 

メアリの日記で明らかになったロバートの狂気ですが、ロバートは狂人でしょうか

結婚相手の家族を蝕む病でしょうか

「難産によって誕生した時から」「おかしなところがある」「いつか誰かを殺しかねない人間」

恐らくロバートは出産の際に酸欠などで高次脳機能障害、感情の制御が難しい、暴力衝動の抑制が効きづらいなどの社会的障害を負って生まれていたのではないかと思います

ロバートの犯した罪は四つ

犬の殺害、弟の殺害、暴力事件、サー・マグナス・パイの殺害

最初の三つは感情の爆発が暴力行為を引き起こし、結果として相手を殺害して(大怪我を負わせて)います

*犬に対しては明確な殺意があっただろうと思いますし、弟に関しても突発的な感情の爆発がきっかけでも、暴力をふるっている時点で殺意は十分にあったのだろうとは思います

サー・マグナス・パイの殺害に関しては、理性的に殺害を決断・実行しています

問題の解決のために殺人を選ぶことは狂気と言えなくはありませんが、ロバートは既に犬と弟を殺害しており、手段としての殺人を選ぶことへの躊躇いが薄くなっていたのでしょう

いずれも動機があり、犯罪や殺人への嗜好性が原因ではありません

犬と弟の殺害は、どちらもマグナスの屋敷に越してきてからの出来事です

彼自身が思春期を迎え不安定な時期にあったこと、転居、母の就労、父の不在、戦争という環境の変化が影響したのかもしれません

ロバートに必要だったのは監視や生活の制限ではなく、安定した精神状態を保つ環境と、感情をコントロールする術を学ぶことでした

もしも、ロバートの負っていた障害が誰もが知るもので、彼と家族に十分な知識があり、周囲から適切な支援を受けられていたら、ロバートは犬も弟もサー・マグナス・パイも殺さずに済んだかもしれないと思います

 

狂気、病、障害の境目がどこにあるのか、私にはわかりません

正常の範囲とは、どこからどこを言うのでしょう

ロバートは狂人ではなかったと思います

ミステリーの殺人犯に異常者が設定される理由は、犯行の原因を特定してしまうと、それが気質であっても、生活苦や信仰などであっても、それに対する差別や偏見を生むからなのかなと思います

 けれど、原因を読み解くことが物語を深くし、読者には人間について考えることを教えます

二つの時代を舞台に展開する「カササギ殺人事件」ですが、過去の物語に現代について考えさせられる面白い作品でした

読んで良かったです

 

おしまい