「PARCO劇場開場50周年記念シリーズ 新ハムレット ~太宰治、シェイクスピアを乗っとる!?~」ネタバレ感想 2

 

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先の記事で、この舞台を「サスペンスフル」だと書きました
登場人物の台詞の意味することが、常に表と裏両面あるように感じられたからです
台詞は隙なく言葉が繋がれ、どこに綻びもないのに、その言葉を発する人間の真意がわからないのです
過去を語り、現在を語り、未来を語る人間の次の行動がわからない
台詞を追い、表情を見つめ、予測不能の緊張に胸が痛くなりました

 

ポローニヤス一家の会話はフラットだと書きました
ポローニヤスが渡仏する息子レヤチーズに説く留学の心得は二重底になっています
心得自体に意味はなく、父はお前の味方だと伝えるための言葉の消費です
レヤチーズには二重底の構造はわかりませんが、ポローニヤスの伝えたいことは伝わっています
オフヰリヤには二重底の構造がわかっています
なので、二重底の前で中身を想像します
父に後ろめたさのあるオフヰリヤは、底にあるのは父の怒りだと考えます
互いがフラット、イーブンな関係であれば、この構造はゲームのように楽しめるでしょう
おそらく、これまでのポローニヤス一家はこの会話を楽しんでいたのだろうと思います
ポローニヤスがこの会話で伝えたかったことは、レヤチーズに伝えたことと同じ、父はお前の味方だということだったのでしょう
この後、ポローニヤスのハムレットと、クローヂアスとの会話は変転に変転を重ねますが、息子と娘との会話を思うと、ポローニヤスが隠した変わらぬ真意は想像できます

 

クローヂアスとガーツルードは、ハムレットに正直に、率直に思ったことをなんでも口にすることを求めます
ガーツルードとホレーショーの会話では、ガーツルードは自分の心中を全て正確に話そうとして、自問自答に陥ります
一本の縄を綯おうとしたものが、捻れて瘤ができて行き先を見失ったかのようです
オフヰリヤとの会話は違いました
ガーツルードは、何者でもなかった自分のことから話し始めました
それを受けて、オフヰリヤが語り出したことは、心中の全てをあるがまま言葉にしたものでした
その言葉らは互いに補うことも批判することもなく、バラバラで、ガーツルードは初めは面食らいますが、共感し受け入れました

 

クローヂアスの言葉は常に断定と断言です
「正直に」「率直に」全てを事実として語ります
クローヂアスが断定と断言を繰り返すたびに、言葉の裏に何かがあるという疑念が濃くなりました

 

ポローニヤスの無意味な会話を、先ほどは言葉の消費と書きましたが、言い換えると、それは表現です
クローヂヤスが自分の夫である先王を殺害したことを知り、それを知るポローニヤスを殺害する場面を目撃したガーツルードは自ら命を絶ちます
ハムレットに対し、オフヰリヤに対し、もはやどのような言葉をもってしても自分の心を伝えることができないと考えたのではないでしょうか
死が表現であったのだと思います
クローヂアスは表現はしていません
クローヂアスは、ただ言葉を使っている
自分の言葉を相手に聞かせているだけです

 

ポローニヤスの二重底の会話は、中身という正解があります
気の置けない間柄のゲームであっても、そこには正解を持つ人間と、正解を答えることを求められる人間がいます
いつでも忖度と迎合を強要する仕組みになり得る構造でした
表現とは、かくも危うい関係性の上に成り立つものなのだと思いました

表現しないクローヂアスの言葉は、最初から関係性を育むことを放棄しているように思えます
放棄というと、元々は持っていたように聞こえるので、それも違うかもしれません
他者との関係性と不要とする者の話法と言えばいいのでしょうか

 

ハムレットの独白についても、まだ考えなければいけません

 

続く