一昨日、冥界の使者、ドクチュンとヘウォンメクの過去について粗方書きました
それを下敷きに、現在のスホン裁判と屋敷神騒動の核となる台詞について語りたいと思います
スホンは第1章の貴人亡者ジャホンの弟です
軍に所属しており、夜間警戒任務中の銃の暴発により重傷を負い、彼を亡くなったと思った隊長パクと同僚ドンヨンの手で事故の隠蔽のために埋められます
生きながら埋められた恨みから一時は怨霊となるも、兄のため自らの死を受け入れ、まだ本人も知らない理由で「無念極まりない死を遂げた貴人」として地獄裁判に臨むことになります
「生まれ変わってもいいことなんかない」と生まれ変わりは望まないスホンですが、生前、司法試験を8回受験して、やっと一次試験を通過していた彼は地獄の裁判、法律には関心が高く、自分の弁護人であるカンニムに弁護人たる資格があるかどうか判断するために、彼の過去を知りたがります
スホンの要求に応えて自らの過去を語るカンニムにスホンの放った言葉が、この作品の核の一つになっています
「お前がどう思ったかじゃない。事実だけを話せ。それがどういう意味かは聞いている者が判断する」
最初、この台詞を聞いたときは、これは司法を志すものとしてのスホンの言葉、スホンとカンニムの会話がすなわち一つの法廷担っているのだと思いました
また、聞いている者すなわち観客の存在を暗示したメタ台詞としても面白く感じました
しかし、この台詞にはもっと違う意味があったのです
屋敷神騒動パートでは、ドクチュンとヘウォンメクの過去が明らかになる過程で、また祖父と孫の家に取り立て屋や地上げ屋がやってくるなどの出来事の中で、屋敷神が二人に語った台詞があります
「悪い人間などいない。ただ状況があるだけだ」
最初にこの台詞を聞いた時、「色即是空」を思い出しました
「万物に実体はない、現象があるだけ」という意味のこの言葉は、仏教の最もパンクな一面と捉えられることもあります
その色即是空と通底する台詞が、こんなにも人を救うとは
こんなに優しい色即是空は知らなかったなぁと屋敷神の言葉が心に反響するのをいつまでも聞いていました
ドクチュン、ヘウォンメク、カンニムの過去がほぼ明らかになり、屋敷神騒動の解決も間近となって、スホンの裁判が始まります
事故で死んだものと思われ埋められたスホンでしたが、実は彼にまだ息があったことを、埋めた二人は知っていたのではないかという疑いがカンニムによって提起されます
物証も記録もないために、下界からドンヨンとパクの魂が召喚されるのですが、証言に葛藤する二人に対しスホンは「知らなかった」と言って構わないと言います
スホンの上官であったパクに対して、カンニムがまだスホンに語っていなかった自らの過去を語ります
「自分も父親の戦死を偽った」
激戦地の遺体の山の中で見つけた父親には、まだ息があったこと
しかし、恐怖と混乱から「亡くなっている」と部下に伝え、撤退したこと
後悔に駆られ、一人父親の救出に戻ったときには、すでに父親は息絶えていたこと
父親は戦死ではなく、息子である自分に殺されたのだと
カンニムがこの告白をするということは、閻魔に受けた罰に対する返答でもあります
語るカンニムに対し閻魔は「自分の願望、想像を語るな。事実だけを述べよ」と言います
「自分が思ったことではなく事実を述べよ」
道中では昔話の語り手に対し聞き手が「娯楽」の観点から放った台詞
法廷では裁判官が弁護人(と同時に被告)に「罪状認否」の観点から放った言葉
それはどちらも「認知」を質すためのアドバイスであり、場所と形を変えたカウンセリングだったのだなぁと思いました
正しい認知の先に見つかるのが「悪い人間などいない。状況があるだけだ」なのでしょう
そう考えると、不思議だったスホンの達観ぶりにも少し納得が行きます
カンニムの話の聞き手であった彼は、彼の話を聞くことで地獄めぐりの間に自分の心の癒しを得ていたのではないでしょうか
パクは「自分はこの罪を認めることができないまま千年を過ごしきた。同じく自分が手をかけたドクチュン、ヘウォンメクに謝罪することもできていない。すでにこの世にない父親には謝罪する機会を永遠に失った」と語るカンニムに、「スホンがまだ生きていたことを知っていた」と告白します
カンニムのスホンに対する台詞は、内容は第1章で閻魔大王がジャホンを諭したものとほぼ同じですが、罪びとが罪びとに諭すというところが大きな違いだと思いました
話はこれで終わりではありません
この後、もう一つ「実は」という展開があります
そこから考えられることを明日以降書きたいと思います